豊かというにはほど遠い国家であったイギリスは、交易による収益で活路を見出そうとした。しかし、海外進出もスペインなどに比べてはるかに遅れをとっていたため、イギリスは私掠船しげいせん、すなわち海賊を奨励した。この政策はエリザベス時代に盛んになり、フランシス=ドレイクなど名のある海賊を輩出する。
17世紀のイギリスは、スペイン、オランダと海上の覇権を争っていた。特に清教徒革命下の1651年に施行された航海法は交易による権益保護を強化した。この政策は英蘭戦争を誘発している。一方、カリブ海では1629年にバハマ諸島、1655年にジャマイカ島を獲得し、これらを拠点に私掠船が盛んに活動していた。ジャマイカ総督トマス=モディフォードは平素から海賊団を懐柔し、スペインとの関係が悪化すると中南米沿岸を襲撃させた。特に悪名高い海賊ヘンリー=モーガンの活躍は著しく、皮肉なことにイギリスはスペインから外交上の正式な抗議を受け、総督を罷免せざるを得なくなってしまった。
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