バルト海の入り江はロシアにとって生命線だった。しかし、スウェーデンがこの道を塞いでしまっており、バルト海に出る手段がなくては、ロシアは効果的な展開を行うができず、西ヨーロッパとの通商も不可能だった。1700年、ピョートル1世はリガを訪問した際に無礼な扱いを受けたと言い張ってスウェーデンに宣戦した。ロシアは以前に失った領土、カレリアとインゲルマンランドの奪回を狙った。同じく領土的野心を持っていたザクセン、デンマーク、ポーランドもロシアに組した。戦争はスウェーデンに有利な状況で始まった。スウェーデンはザクセンとデンマークの部隊を撃破した。1700年秋、ピョートル大帝に指揮された40,000の兵士から成るロシア軍はナルヴァのスウェーデン軍要塞を包囲した。スウェーデン王、カール12世は要塞の守備を支援するために前進した。王はロシア軍に攻撃を加え、壊滅させた。ピョートル大帝はこの不名誉な大敗から教訓を得て、ヨーロッパスタイルの正規軍を新しく編成する仕事に取り掛かった。1701年、スウェーデンがポーランドに侵攻し、国王スタニスワフ・レシチンスキをポーランド王位に就かせ、ポーランドを自国の新しい同盟国とした。この頃までにロシアは新しい軍隊を完成させていた。ロシア軍は軍事行動を開始し、1704年にはバルト海周辺の主要な防御の中心点の1つナルヴァを攻略した。カール12世はロシアを真の敵として考えたことなどなく、これを限りに終結させようと決意した。1708年の夏、カール12世は軍勢60,000から成る十分に訓練された軍隊をモスクワに派遣した。ところが、運はスウェーデンを見放した。1708年9月、ロシア軍がレスナヤの村での戦いでレオイヴンハウプトの軍を打破した。モスクワへの侵攻作戦は失敗に終わった。糧食を略奪することを目的にスウェーデンはウクライナに侵攻した。そこで、以前ロシアと同盟を結んでいたヘトマン・マゼパが合流した。ところが、スウェーデン軍はここでもまた失敗を犯した。ロシア軍はスウェーデン軍を尻目に、食料の主要な供給元となっていたバトリン市にあるヘトマンの野営を陥れたのだ。1709年の春、カール12世の部隊がポルタヴァを包囲すると、決定的な戦闘が勃発した。軍勢22,000のスウェーデン軍に対して45,000の兵を持つロシア軍は、数の上で著しい優位を誇った。またもやスウェーデン軍によるロシアの防衛線の急襲は失敗に終わった。ポルタヴァの戦いが北方戦争の結末を決める転換点となり、戦争は1721年にロシアの勝利で終結した。ロシアはバルト海沿岸の支配権を強化した。 |