歩兵
槍兵
火縄式マスケット銃では、発砲するまでの時間がかかりました。しかも射撃の精度と効果は高くはありませんでした。したがって遮る物のない戸外での戦闘では、マスケット銃兵を騎兵の突撃から守るために槍兵隊をマスケット銃兵の隊列に加えました。三十年戦争の間、平均して槍兵は歩兵の30%を占めました。槍兵はヨーロッパの正規軍の中で胸甲を最後まで着用した歩兵です。
槍兵の装備は鉄兜、膝までの長さのもも当て付きの胸甲、肘までの丈の幅の狭い肩当て、折返し部分が大きい長手袋でした。その合計重量は約20キロ(45ポンド)にもなりましたが、この装備は弓矢や、3〜4メートル(10〜14フィート)以上の距離から発射されたピストルの弾丸、長距離から発射されたマスケット銃の弾丸から兵士の身を守ることが可能でした。
槍兵は5.2〜5.8メートル(17〜19フィート)の木製の柄に刀の付いた槍を持っていました。槍兵は接近戦で非常に有効で、17世紀初期、槍兵は攻撃と防衛の両方の目的に利用されました。1674年に、槍はエンツハイムの戦いで大きな役割を担いました。ドイツの騎兵はテュレンヌ率いる槍兵小隊に怖気づいて攻撃ができなかったのです。しかし火器の発展とともに槍兵の重要性は低下し、鎧は徐々に廃止されていきました。兵士は以前に比べて機動的になり、コストも低下しました。17世紀の終わりまで、槍兵は主に防衛要員として使われました。全てのヨーロッパの軍隊は徐々に槍兵を拒否するようになり、彼らの数は相当減少し、また槍兵はピストルや時としてマスケット銃で武装するようになりました。18世紀には、彼らはまったく鎧を使わなくなり、広幅のカフタン、下着衣(場合によっては牛や山羊の皮製)、ズボン、ストッキングという通常の制服を着用するようになったのです。寒い季節には、外套も着用しました。
槍兵は各々縦6列の密集した陣立てで戦いました。通常、槍兵はマスケット銃兵が彼らの背後に後退できるような形で配置され、また騎士の突撃からマスケット銃兵を守るために簡単に方陣隊形に変化することができました。やがて接近戦では槍に代わって銃剣が使われるようになりましたが、銃剣は至近距離での戦闘では重要でしたが、槍には劣りました。槍兵は接近戦では最も戦闘に適した歩兵だったのです。