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中世のイングランド王室は、アングロ=サクソン、デーンのゲルマン系王朝に続き、フランス系のノルマン朝、プランタジネット朝と外来王朝が続いた。このフランス系王室はもともとフランス国内にも所領・血縁があり、これがフランスの王位継承の口実となって百年戦争が勃発する。この戦争でイングランドはフランス領のほとんどを失い、その後、内戦であるバラ戦争により国土は荒廃、ヨーロッパにおける地位は著しく低下した。
1485年に即位したテューダー朝のヘンリー7世は、ヨーロッパにおける地位を高めるべく、スペインと婚姻関係を結び対外関係の強化に努めた。しかし、スペイン(アラゴン王女)との結婚に不満を持った息子ヘンリー8世は婚姻の無効をもくろみカトリックを棄教、新たに英国国教会を設立。これによりイギリスは中世ヨーロッパの体制から脱却することになる。さらにエリザベス1世の統治期には、貿易振興や植民地獲得を推進させ海洋国家として成長。さらに海軍はスペインの無敵艦隊を破り、ヨーロッパの列強に名を連ねることができたのである。また、国力の増大は商業の中心となる資産階級「ジェントリ」を台頭させることにもなった。
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1603年、生涯独身であったエリザベス女王が死去しテューダー朝は断絶、スコットランド国王であるジェームズ1世によるステュアート朝となった。この頃からピューリタニズム運動が盛んになってきたが、王室はこれを弾圧。さらに絶対王政化を強行したため、ジェントリ層を主体とする議会派と内戦状態になった。
このとき議会側で主導権を握ったのがジェントリ出身の軍人で、熱心なピューリタンでもあったクロムウェルである。彼の指揮する議会派軍は、ジェントリ層で構成された鉄騎兵を中心とする新鋭部隊で、王党派の軍隊より優秀であった。1649年、ついに国王チャールズ1世は断頭台に送られ「清教徒革命」となる。クロムウェルの政権は独裁的であったが、軍隊の近代化や官僚化を促進し近代国家への基礎となった。クロムウェルの死去にともない王政は復古したが、以前のような絶対王政を国民は許さず、名誉革命後はハノーヴァー朝による議会内閣制が確立していった。これによりイギリスは他国に先んじて近代化が進み、ほどなく産業革命を迎えるのである。
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