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七年戦争 (1756-1721)

七年戦争はプロシア国王フレデリック2世の領土拡大の野望によって引き起こされた。1756年から1757年の間に、プロシアは効果的な攻撃を行い、敵であるオーストリアとフランスに勝利した。1756年にフレデリック2世はザクセンと北ボヘミアの一部を占領した。王はプラハの近くで勝利を修めた。1757年のロイテンの戦いでプロシア軍は数の上で優勢を誇るオーストリア軍を打破した。しかし、ロシア軍とその同盟国であるオーストリアとフランスがプロシア東部に侵入してフレデリック2世の計略を挫き、1756年から1757年にかけてプロシアが軍事行動で奪ったすべての領土を奪回した。ロシア軍はゾルンドルフ(現在のポーランドのサルビノワ)とクネルスドルフの戦いでプロシアに大打撃を与えた。プロシアが苦難を免れることができたのは、ロシアの女帝エリザベートが死亡したおかげに他ならない。女帝の死により、ロシアはオーストリアとの同盟を破棄したばかりでなく、プロシアの支持に回ることを決意したからである。その結果、プロシアは戦前の境界線の内側に留まることにはなったが、隣接する領土を征服するという希望を捨てることはなかった。