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七年戦争

ロイテンの戦い

1757年12月5日

この戦いでは、オーストリア軍が数の上で大きく優位に立っていた(プロシア軍の兵力40,000に対して60,000)が、遅すぎた防衛戦略が致命的な影響を及ぼした。兵力の優位を利用して冬に作戦を実施せずに、オーストリア軍は荷物をまとめて冬の兵舎に移動してしまったのだ。敵が接近したら、オーストリア軍は敵の進路を塞いで、防衛体勢を取りさえすれば十分と考えていた。プロシア軍が攻撃を仕掛けて可能性を認識していなかったようだ。フリードリッヒの軍はまったく気づかれずに、オーストリア軍の側面に回り込むことに成功した。そしてプロシア軍は敵の右翼が戦場に到達しないうちに左翼に攻撃を仕掛け壊滅させたのだ。