章の目次戦い

イギリス市民革命

死刑執行人は興奮する観衆に切り落とした首を高く掲げた。かくしてイングランド国王、チャールズ1世は断頭台の露と消えた。群集は狂喜した。彼らの多くはイギリス人の人生観を激変させ、祖国を二つの陣営、すなわち王党派と議会派に分かつことになる新時代の始まりに自分たちが居合わせていることを理解していた。一方、貴族らは自分たちの王の死に報いる復讐の準備を始めていた。なんとしても報復せずにはすまされない出来事だった。貴族たちは自分たちが勝利する日を想像し、快感に震えた。すぐに敵と交戦し、自らの剣で反逆者どもを血祭りに上げてやるのだと誓って。彼らの敵、帝国軍は職業軍人ではなく、老いぼれの歩兵、宿屋の親父、賎民で構成されていると思われていた。戦争の勝敗は決まったも同然に思えた。ところが、すべては予想をまったく裏切る結果となった。オリバー・クロムウェルは新式の軍隊を作り上げることに成功し、議会軍を指揮した。彼は武装した人間を集めて訓練を施しただけでなく、旧式のイギリス軍事組織を粉砕し、極めて固い結束力を作り上げた。この結束力を基盤として、他の国家を征服して敵を一掃してしまえる新型の組織が誕生することとなる。

チューダー朝の下での政治は、資本主義の発展を促進する政策を支持していた。しかし、チャールズ1世は数々の失政を犯したため、内戦での血まみれの戦いの中で、彼の前任者たちによって支援されるという慣習は衰亡したのだった。

1637年と1638年のスコットランド蜂起とそれに続く戦争の間、スコットランドの貴族と中産階級は自分たちの独立をめざして一緒に戦ったが、これらの戦いはやがて新たなる身内同士の戦争に通じるきっかけとなった。状況は1641年10月に始まったアイルランドの反乱によっていっそう悪化した。イギリス王チャールズ1世はロンドンから強制的に追い出された。

1642年8月22日、ノッティンガムにおいて、国王旗(**)が厳粛に掲揚された。これは「アール・オブ・エセックスの反乱」を鎮圧するという口実で議会に宣戦が布告されたことを意味した。アール・オブ・エセックスは議会軍の指揮者であった。この戦争では、議会の狙いは彼らが革命で勝ち取った成果を国王およびその支持者らの目論見から守ることだった。一方、国王側は既に時代遅れとなっていた社会的・政治的体制をイギリスに復活させることを目指していた。