イギリス市民革命

マーストンムーアの戦い

1644年春、北部と南部の州の領土に対して、議会側に有利な分裂が達成された。クロムウェルのいわゆる東部連合の兵力は、フェアファックス卿率いる軍とスコットラント軍と協力を結ぶことで一応の成功を修め、国王軍から大きな領土を奪い取った。フェアファックスが指揮する軍勢はヨーク市を包囲した。国王は東部での戦闘作戦を中止して、ルパート率いる軍を北に派遣し、そこで軍事行動を取っているニューカッスル率いる軍勢と合流させた上で、ヨーク市の解放を狙わざるを得なくなった。議会派とスコットランドの軍勢はヨーク市西部のマーストンムーアに集合しており、その内訳はクラフォード、バーリャおよびリーヴェンが指揮する歩兵20,000とフェアファックス、クロムウェルおよびレスリーが指揮する騎兵7,000だった。ニューカッスル率いる国王軍も騎兵は7,000を数えたが、歩兵は議会軍のほぼ半数のわずか11,000だった。陣形を配備したものの、いずれの陣営も一日がかりの肉弾戦を開始したいとは思っていなかった。戦闘は両陣営の大砲によって戦われた。その時代の記録には、「あまりにも激しい砲撃のため、大気がすべて火炎の嵐に変わったかのように見えた」と記されている。夜が近づいていた。ルパートの騎兵はそろそろ食事を取ろうとしていた。午後九時前後のこの瞬間をとらえ、クロムウェルはルパートの騎兵に攻撃を仕掛けた。ルパートは冷静さを失わず、主要兵力を使って反撃した。2つの騎兵隊が王党派の騎兵隊とぶつかった。ルパート王子にはこの攻撃に逆襲できるだけの兵力が残っておらず、王子の騎兵隊は「塵のように」ばらばらに散った。議会軍の戦闘隊形の中央と左翼に好ましくない状況が生じた。フェアファックスの騎兵大隊がゴーリングの騎兵隊の前線によって破壊されてしまったのだ。後者は逃走する敵を執拗に追跡した。バーリャの歩兵もまた危険な状況にあった。この戦闘の重大局面は最終的にはクロムウェル率いる騎兵隊の巧みな戦術的行動により、議会軍に有利に決着した。反撃は連続的に行われた。ゴーリングの騎兵隊がフェアファックスの騎兵大隊の追跡を止めて引き揚げてくるところを攻撃し、その前線を撃破した。そして、その次は国王軍の歩兵に目標を転じた。この戦闘は国王軍兵力の完全な壊滅で終結した。王党派の死傷者は6,000で、1,500が捕虜となった。議会軍の死傷者は1,500だった。マーストンムーアの勝利によって、イギリスの北部全体は今や議会の支配下に入った。国王は彼の兵力の大半を失ってしまった。この勝利によって国王とその信奉者を敵とした闘争を続ける人々の意思にいちだんと弾みがついた。