16世紀後半の地理上の大発見により、貿易経路が中央ヨーロッパから大西洋沿岸へと移った。当時の状況から見て、オランダは貿易と産業に有利な立場にあると思われた。ところがスペイン国王が課す重税のせいで、オランダの経済的発展は著しく阻害されていた。スペインがオランダから搾り取る利益は、同国が所有する海外の大規模植民地から上げる利益の実に4倍にも上っていた。当時、スペインは海上覇権と植民地支配権をめぐって、イギリスに対抗する軍事作戦を積極的に展開していた。スペイン国王はユグノー教徒と戦っていたフランスのカトリック教徒を支援した。一方、ドイツとの間にも緊迫した関係が続いていた。また、地中海支配をめぐるスペインとトルコとの戦争はヨーロッパの状況をいっそう紛糾させた。結果として、スペイン艦隊はオランダ戦域から引き揚げざるを得なくなった。スペインはオランダを帝国の一部として維持することを目的にカトリック教会と地元の領主を支援した。しかし、オランダの飽くことなき独立闘争とスペイン兵力の分散によって、オランダ独立を求める運動が、そして全面戦争が開始された。 オランダ革命の指導者、オレンジ公ウィリアムと、その死後、後を継いだ息子のオレンジ公モーリスは傭兵を採用した。傭兵はそれまで戦争の終了と同時に解雇されることが普通だったが、オレンジ公モーリスはこの戦争の終了する頃までに彼らをもとに正規軍を編成し、その力によってスペイン国王の傭兵隊を壊滅に追いやった。そしてようやくオランダは独立を勝ち取ることに成功し、その後、西洋文明の経済的・政治的発展に大きく影響を与えるようになった。火器の性能が向上するに伴い、軍制に変化が生じた。新式の軍制では、歩兵や騎兵の編成に新しい形が現れた。独立戦争の後半、オランダはヨーロッパで最上の正規軍と艦隊の編成に成功した。 |