ニューポールトの戦い 1600年の作戦で、オレンジ公モーリスは6月21日にフィリピンの砦に15,000から20,000の兵力から成る軍を配備することで、フランダースに軍事作戦を移動した。続いて、この軍は艦隊に随行されて沿岸を進み、ニューポールトを包囲した。スペインの主権者、アルベルト大公はニューポールトの守備隊を支援するためにアントワープから前進した。彼の軍は歩兵10,000、騎兵1,500で構成されていた。1600年7月2日、スペイン軍接近の情報を得ると、モーリスはニューポールトの包囲を解き、敵に向かって出発した。午前11時、スペイン軍の騎兵はニューポールト湾から5キロの位置で止まり、移動に時間のかかる歩兵と砲兵が追いつくのを待った。モーリスはスペイン軍のこのタイムロスに乗じて、自軍の配備を終えた。戦闘の火蓋は前衛の火縄銃兵によって切り落とされた。この時、スペインの軍勢は沿岸線を通って進むことで、射撃に有利な風向きを利用するチャンスをオランダ軍から奪おうとした。しかし、オランダ船の大砲からの砲撃によって、スペイン軍は多大な損失を受けた。そして沿岸線には上潮が押し寄せ始めていた。アルベルトは歩兵部隊に撤退を命じた。午後3時、スペインの部隊が撤退を続けている間、モーリスは自軍の騎兵と槍兵に敵を襲撃するよう命じた。軍勢の陣形の中央で激しい衝突が起きた。形勢ははっきりしなかったが、全体的にはモーリスの主要兵力に不利なように見えた。この時、騎兵によって支援されていいた右側面のスペイン部隊は前に向かって進んでいた。オランダ軍前衛の左側面はその圧力に耐えることができなかった。戦闘は重大局面に近づいていた。後衛の左側面を支援するために、モーリスは主要戦力の騎兵部隊から2つの騎兵隊(**コルネット)を急いで派遣し、さらに後衛の歩兵を戦闘に投入した。スペイン騎兵隊はオランダ軍の圧力を受けて壊滅同然となり、撤退を開始した。このため、スペイン歩兵隊は一番必要としていた支援を失ってしまい、砲兵の応援を受けたオランダ軍勢による新たなる攻撃によって陣形はばらばらに崩され、撤退陣形を取らざるを得なくなった。そして、その陣形の秩序もすぐに乱れ、大混乱の中、逃走が始まった。スペイン軍の損失は死者4,000と負傷者1,000だった。一方、オランダ軍の死者数は2,500に達した。 |