モークの戦い オランダの軍事作戦は海上では首尾よく展開され、その海軍はスペイン艦隊を二度も打破した。ところが陸上では、スペインによるライデン包囲が相変わらず続いていた。オレンジ公ウィリアム王子によって大筋を描かれた1574年の作戦の基本的な狙いはライデンの解放にあった。4月14日の夜明け、両軍の軍勢が戦闘に備えて整列した。早朝、兵力で劣るスペイン軍が塹壕にいるルイの歩兵に攻撃を仕掛けた。衝突は数時間も続いたが、どちらの陣営もその主要兵力をこの戦闘に投入していなかった。モークの村の支配権は2つの陣営の間を行き来した。スペインの指揮官は敵を逃がすことを恐れ、自軍の歩兵部隊すべてにルイの歩兵に攻撃を仕掛けるよう命じた。スペイン軍は膝まずいて祈りを捧げた後、全力を挙げて突撃した。そして敵の歩兵を蹴散らした。自軍の歩兵の敗北を知ると、ルイは騎兵に攻撃を命じた。最初の攻撃でスペインの騎馬ライフル銃兵は粉砕され、パニックにかられて逃走した。しかし、最初の一斉射撃が済むと、ルイの騎銃兵は銃に再装填するために後退しなければならなかった。スペイン人騎馬槍兵とドイツで集めた黒い騎兵はこの時間を利用して反撃し、兵力で勝る敵を打ち倒した。ルイは騎兵隊の生き残りを集め、最後の戦闘へと率いた。そしてそこで彼は自らの死と出会うことになる。この戦闘の結果、オランダはかなりの兵力と集中的な軍事作戦を実施する可能性とを失った。 |