騎兵
ウクライナコサック騎兵
コサック騎兵隊はウクライナ陸軍の中核をなしていました。ウクライナコサック騎兵隊はウクライナがポーランドの支配下にあった時代に結成されました。17〜18世紀、ウクライナコサック騎兵隊は何種類にも分類され、まずコサックの首領が指揮する軍があり、次にザポリズズヤの軍(コサック傭兵)があり、地域ごとのコサック連隊(スミイ、カルキフ、オクチィルおよびオストログ)が多数存在しました。さらにウクライナ右岸(ポーランドに所属)の連隊がありました。
コサックの首領が指揮する軍隊は主にキエフ、ミルゴロド、プリルキ、ペレヤスリフ、ニズヒュン、ハドヤッチ、ルブヤン、ストラダブ、チェルニヒヴのレジスターコサックの連隊で構成され、さらに傭兵連隊もありました。各連隊の兵力は一定ではなく(400名から700名)、連隊は百人単位で分割され、百人を支配する長とスターシナ(そのスタッフはイエサウル1名、オボズニー1名、コルネット奏者1名)による指揮を受けました。百人はいつかのクレンを構成し、各クレンはクレンの長が指揮を取りました。コサック騎兵は、えん月刀、マスケット銃、ピストル、弓、ダガー、棍棒、6つの刃の付いた棍棒など、さまざまな武器で武装していました。彼らは東方の武器とヨーロッパの武器の両方を使いましたがが、通常、鎧は着用しませんでした。