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歩兵

マスケット銃兵(ロシア)

マスケット銃兵連隊はピョートル1世によって推進された改革以前のロシア陸軍の基本兵力をなしていて、ロシアの最初の正規軍だったと見ることもできます。ロシアにおけるマスケット銃兵の職は世襲制で、マスケット銃兵は税金を免除され、給料を受け取り、家を持ち、商売も学ぶことができました。ロシアマスケット銃兵の歴史は1550年に始まります。この年、ピスチャル(ロシア型火縄式マスケット銃)を装備した、各々500名の兵士で構成される6つの射撃部隊が組織されました(やがてボードまたは連隊と呼ばれました)。これらの部隊はモスクワ市等の郊外に配置され、連隊の士官は指揮官(大佐)、少佐、ソトニック(中尉)、ウリャドニック(下士官)で構成されました。イヴァン4世の統治期間、ロシアマスケット兵の数は約7,000でしたが、1584年にフョードル1世(イヴァン4世の息子)が王位に就くと、マスケット銃兵連隊に所属する兵士の数は20,000を超えました。これらの戦士は重い火縄式マスケット銃またはサモパル(ロシア型フリントマスケット銃)、サーベルおよび銃の支柱としても利用した斧で武装していました。指揮官(士官)はサーベルと矛を持つこともできました。場合によっては、ロシアマスケット銃兵は軽量の鎖帷子を着用しました。彼らの装備は毛皮の帽子、長いカフタンの外衣、ジパン(広幅の下着衣)、ポーティ(幅の広いズボン)、手袋でした。明るい色のカフタンの外衣には腰帯を巻きました。ロシアマスケット銃兵連隊は1711年にモスクワで廃止され、1716年以降は各地方から姿を消しました。