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戦術 - 大砲

30年戦争の初期、砲兵は兵の中では特殊な位置を占めていました。彼らは職人集団で、組合(ギルド)を作り、大砲の製造と運用を支配していました。また、独自にカノン砲、馬、徒弟などを持ち、通常の兵と比べると格段に高い給料で雇われていました。17世紀になり、砲兵は一般兵と同等の扱いになります。製造方法や砲弾も標準化されつつあり、運搬方法も改善されたため、野戦や攻城戦で重要な攻撃ユニットになります。この頃から3ポンド未満の口径のカノン砲は姿を消していきます。1650年には砲の角度を変更できる巻上装置が開発され、これにより照準を定めるのが楽になりました。またスウェーデンのグスタフ・アドルフ王が画期的な砲兵の改革を行い、これにより強大なスウェーデン軍が歴史上に登場しました。最初に砲兵を常備軍としたのはフランスです。1671年にフランスは大砲連隊を創設し、1690年には砲科の学校を作りました。フランスはこれにより長期間にわたり砲の先駆者であり続けました。1700年頃にドイツが榴弾砲を発明します。榴弾砲はカノン砲よりも軽く、銃身は短く、高角度の砲撃が可能です。砲撃距離はカノン砲には劣りますが、砲撃威力は絶大でした。また、高角度砲撃ができるため、遮蔽物の向こう側の敵を攻撃することも可能になりました。通常カノン砲は1,000人の兵士に3砲の割合で配置されました。カノン砲の砲撃距離は1,300m程度で、通常、砲撃戦は500〜1,000mの距離で行われました。戦闘時における砲の位置は重要な要素でした。
大砲は通常、砲撃距離を伸ばすため丘の上に配置されます。また、平坦な堅い土壌の上に設置する必要がありました。土壌が軟らかいと砲架が土にめり込み、砲撃時に砲自体が壊れてしまうからです。敵の位置も重要な要素です。敵が固い土壌の上にいた場合、カノン砲弾は土で跳ね返り、通常よりも大きなダメージを与えることができます。このように戦闘時に砲を設置する位置は重要な要素でした。敵の要塞へ攻撃は、射角の高い臼砲などの曲射砲が使われました。これらの砲は口径も大きく、砲撃の威力も絶大であったため、要塞や守備兵にかなりの損害を与えました。